2017年11月18日土曜日

とあるノスタルジア

先日、天草でのイベント出展において、個人的にいちばん驚いた瞬間と言うかグッと来てしまった瞬間というのがあって、正直この辺の話、つまりはカルチャーめいた話はあまり人気が無いので、あらかじめ釘を打っておきますが。

初日前の搬入日に事が終わり、友人の車に乗せてもらいご飯を食べにいく車中であった。カーステなんて懐かしい呼び名からとある音楽が聴こえてきて、僕はその音楽を、とても大切に思える音を、明らかに聴いた事があるような気がしたものだが、なにせ搬入やらなにやらで皆疲れに疲れ、とてもじゃないけどそれを言い出す感じでもなかったから、何事も無くやり過ごした。

次の日、またその車に乗った時、やっぱり明らかにあの音だと感じたので、僕は友人にいった。「・・・これ、もしかして岡田拓郎?」と。そう、その車中でかかっていた音楽は岡田拓郎の『ノスタルジア』というアルバムだった。友人とは陶芸家の金澤宏紀くんだったのだが。



まぁこんな知らないかもしれない固有名詞が出て来ただけで、ほら、もう何十人がこれを読むのを止めてしまうんだろうけど、別にそれは誰のせいでもないのだろうけど、僕にとってはすごく大切なことだから、続けて書き続ける。岡田拓郎というのはもう無くなってしまった「森は生きている」のメンバーで、僕はそのバンドのことが、たった2枚しかアルバムを出さないで風のように散ってしまったバンドがその音が、とても好きだったのだけれど、その主要メンバーであるひとが最近アルバムを出したんですね。もちろん僕はそれをすぐさま手に入れるつもりだったのだけど、どう考えてもその後にレコード盤で出る気がしていたから買うのを迷って主にスポティファイで聴いていた。というかそんなことはどうでも良くって、そもそもこのひとの音楽のことをどこかで話せる気がまったく僕はしていなかったんです。少なくともこの熊本という地で。


なんかというか、もうそこにこそ、この地の、とある地方の、カルチャー飢餓としての現実があるというか、もちろん広くて狭い熊本だからそんなことは無くってどこかの誰かとそれについて語れるのだろうが、こっちで勝手に狭くしてしまう。そして現実的にいってもこのご時世、なかなか狭い音楽については誰かと語れないですよ。悲しいかな。でもそれがとても近い友人と本当に偶然話せたのがこれくらい嬉しいものだとは。最前線の創り手、クリエイターはやはり違うものだなぁ、と勝手に偉そうに感心してしまった。そういえば、その前に彼の奥さんである木ユウコさんのお手伝いにおうちに伺ったら、これまた大好きなソランジュのレコードがあって、そのときはそこに居合わせた僕と僕の奥さんが嬉しくて驚愕したんだった。そのアルバムはふたりとも大好きな一枚だったから。それは木さんが好きで、と話していた気がする。いずれにしても良い話だ。というかなんだか贅沢な話だ。・・・ん?そうは思いませんか。



もしこの辺の話を読んでただの自慢話にしか聞こえたり、まったくもってピンと来ないひとは、例えばあなたが好きなお店、それが洋服屋でも雑貨屋でもインテリア系の店でも飲食店でも、そこに行ってみて、そこでかかっている音楽を一度気にしてみたらいいと思う。果たしてこのとある地方でのとある店で、この2017年の日本の音楽のなかで、後々考えても必ずや聴かれるべき一枚、でもどうにも見過ごされそうな素晴しき一枚が、ひっそりとでもかかっているところが果たしていくつあるだろう?たぶん僕は無いと推測する。あるとしたら、うちともう一店舗くらいだろう。そんなある意味、気違いめいた店は。いろんなお店のいろんな立場と意見があってしかるべきだと思うけども、僕にとってはそこはとても大切な問題だ。なぜってすべては繋がっていると思うから。創り手やお店の人間が果たしていま何を聴いて何を観て何をいいと感じているのか。何に歓喜し何をファックと思うのか。ある意味、それってすべてじゃないのかな。突き動かされしものはなんですか? みたいな。・・・まぁとにかくそんなアルバムがとある車中でかかっていたんだから、そりゃ僕としては小躍りするってものだ。

そんでまたこういうことを書くと、また自分が感じ悪い系というか知ってりゃいいのかバカというか、なんでそんな偉そうなんだよスノッブタコとか、そもそもなんで先輩はそーいう所でいつも上からなんですかそーいうところはっきり言って大嫌いですとか(経験談)、いろいろ言われるのだろうけど、うーん、でもたぶんそもそもカルチャーってそういうものだと思う。好きなひとはほっておいてもわざわざ自分のお金と時間を割いて新しいもの、自分がピンときてハッとするものを追い求める。そこにおいては例え出会いがどうだとしても、あくまで受動的ではなく、自動的にそれを選ぶ、というのが最も大切だと思う。たぶんそこで彼、彼女らは横から誰がなんといおうとそれを手に入れるだろう。例えソランジュのレコードを買おうとレジに持っていこうとしていたら、横からおせっかいな店員が来て「・・・お客さん、それ買うんでしたら私はお姉さんのビヨンセのアルバムの方がいいと思いますよ。絶対そう思います」なんて茶々を入れられようが(そんなことあるわけないけど)きっと彼、彼女らは買うのだ。断じて買うに違いない。

考えてみるとうちのお店のお客様にはカルチャー女子というか、かつてのカルチャー女子というか、引き続きのカルチャー女性と言うか、つまり僕より少し年上で音楽とか映画とか本がとても好きな女性の方たちがよくいらして、彼女たちと話すのはとてもシアワセな事だといつも思う。彼女たちはもはやカルチャーという草木一本生えていないように思えるこの地で、くんくんくんとその独特な鼻を効かせてはこの満月ビル3Fまで辿り着き、また改めてカルチャーという甘くて刺激的な草木を貪っては懐かしんでいるようにも思える。そんな感じでそれについて僕と延々とお話しする。そりゃ僕だってプリファブ・スプラウトとかペイル・ファウンテンズとか『パリ、テキサス』の映画の事とか、そんな話を愉しくしながら、刻々と時間が過ぎていくのはたまらなく嬉しい。なんというか、少なくとも僕らの間には、とても豊かで濃かったカルチャーの時代を生きた証みたいなものがお互いにくっきりと在るのが分かる。そう、いま考えてみるとあの時はとても豊かだった。少なくともカルチャーにおいては。



といって今の時代がすべて薄いとも思わない。時代はすっかり変わっていまや配信の時代になり、果てしなくただでいろんな音楽が聴け、それを享受できる。それがとにかく豊かだとは少なくとも古い自分のような人間は思えないけれども、当たり前に今の時代は今の時代なりのカルチャーが存在して、それが一部では機能しているのも分かっている。その一部というのがどうもこころもとない、一つになり難い、今まで以上に狭い穴のような気もするけども。まぁとにかくそんなこんなだから、うちの店は取り引きする創り手の方もカルチャーめいた方々が自然に集まってくるような気がしてとても面白くて嬉しい。いやはや、産まれてこのかたどこへも繋がらない無駄な事ばかりにお金と時間を割いてて本当に良かったよな、と改めて思う所存であり、もし君が若くてそんな状態で困って迷っているのならば(たぶんそんな若いひといまいない気もするけど)果てしなくその道を進んだらきっと良いよ、と無責任にも思うわけでありますね。

2017年11月15日水曜日

動物嫌い




というわけで今年もやってきました、モロッコラグの展示会。今年で早くも三回目。昨年は『旅するボシャルウィット』とか言って天草に大量のラグを持って行きましたが、今回は大人しく満月ビル3Fで展開しております。お世話になるのはもちろん香川の『maroc』さん。今年もやはり間違いのないチョイス。

・・・いや、あなた、一言でチョイスなんて言葉を書き連ねますが、そうそう簡単なことではないんですよ。言って見れば『maroc』さんだってうちと同じように販売店、あくまで小売りであって、モロッコラグを創っているわけではないんですよね。ということはとどのつまりは何を選んで何を選ばないか、というか、きっと「何を選ばないか」の方が重要になるように思われます。だってそれこそモロッコラグなんて、現在とて現地に行けばお土産的なものから本当にたくさんあるはず。今でもラグは創られているだろうし。でもやはり日本と同様、手仕事なんてものの想いやその濃さは時代と共にどうにも徐々に薄れていくわけで、それは昔のひとの苦労にはかなわないでしょう。もちろん昔のものだからすべて良いかといわれるとそうでもないだろうけど、とにかくはそのなかから「これは間違いなく良い、わたしはかわゆいとおもう」と思うものをチョイスしなければならぬ。もしくはそういう価値や関係を分かり合える現地スタッフを捕まえなければならぬ。その苦労は簡単なものじゃないはず。



だからこそ、というべきか、悲しいかな「わたしがかわゆいとおもう」ラグは年々減り、『maroc』さんのお話だともう本当に無いらしい。リミットらしい。それを最近現地に行って痛感したのだそうだ。まぁ古いものを扱っている以上はそれはいつかは仕方のないことなのだろうけど、いつまでもそれが在るとどこかで気楽に信じきっていた自分が少し恥ずかしくも悲しい。だからやっぱりこれらのラグを某ニトリなんかのものとは決して一緒にしてはならぬ。それこそが命題だ。これはまったく別のモノなのだ。某ニトリが悪いとはまったく言わないけれども、ただただそれとは異なる、それだけひとの想いとひとの時間がかけられたものなのだ、ということを改めて僕らは知るべきだ。




・・・なんてまぁいつものように分けも分からず毒づいていますが、とにかく今年もかわゆいです。展示会が始まって、特に福岡からのお客様が多いことに本当に驚くばかり。







いつも『maroc』さんのサイトを見ていて、できれば実際のラグが観たいと熊本まで来られたそうだ。ある方においては昨年に引き続き来ていただき、2枚目をご購入の方もあったりとこれまた驚くばかり。他にも北九州に佐賀と本当に有り難し。・・・に比べると熊本からのお客様が少ない気がする。とある言説によればどうやら熊本のひとは外側にお金をかけて内側にかけることが少ないらしい。洋服の街だとか言われる、あのアヤシい都市伝説めいたこともそれに関係しているようで、例えば自分の外観に関することにはお金を落とすが、家に行くとその調度品の落差に驚く、とかなんとかいう話を聞いたことがある。だからこの地ではインテリア系の店が生き残って行くのが現実的に難しいのだとか。本当なのだろうか。現時点ではそれを裏付ける結果にもなっておりますが。






それはそうと今回のDMの撮影は大変だった。カメラマンのえとうくんと朝の4時出発で阿蘇の草千里まで行き、サクッと撮影しようしたものの、あまりの風の強さにどうにもならず、場所はもちろん良いのだけどなかなかイメージのものが撮れない。しかも当たり前に寒いし、冷たい。僕は完全に阿蘇を舐めていてしかも薄着であって、そもそもが風邪気味だった。しかもいたるところにお馬さんがいて、えとうくんが恐い恐いとシャッターがなかかか切れない。そうであった、えとうくんは基本、動物がダメで犬さんさえも苦手だった。















僕がくるまったり、いろんなところにかけてみたり、さまざまなことを試すがどうにもならぬ。ようやく最後の方で柵にかけてお馬さんをバックにオンしたものがなんとか形になった。終わってからふたりで食べた、温かくて優しい「ウエスト」のうどんのウマかったことウマかったこと。実はその日えとうくんも風邪気味で、我がうどんにウソのように、もはやスウプが見えなくなるくらいにネギをこんもりとインしていたのが忘れられない。こうやって日々はローリングストーンのように転がっていくのです。ということで、モロッコラグの展示会は今週日曜19日までです。












2017年11月12日日曜日

メイクドラマ





祭りの余韻、未だ覚めやらず。うん、そうだ。あれはたしかに祭りであった。ひとびとは器というものに酔いしれ、戸惑い、恋い焦がれては、家路についたのだろう。だからこそ僕も終始、大陶磁器展という祭りのさなかに身を置きながら終始、ひとと酒に酔っぱらい、なんだかふうわふうわしていた。だからこそ、それに終止符を打つこと、つまりは撤収もなかなかに大変だった。

それに僕は撤収時に仕入れも考えていた。せっかく器の祭典に参加させていただいたのだ。これはみなさま(お客様)にその甲斐と成果をお見せしなければ、日頃やっていることがウソになる。なので、金澤宏紀くんと木ユウコさんに無理を言って、撤収時にその場で泣きの仕入れをお願いする。でもその時、他の窯元の方々は当然凄まじい撤収の嵐で、祭りの喧噪も終わりを迎えようとしていた。そんな凄まじい喧噪のなかでひとつひとつ仕入れる作品を選ぶことの難しさ。いやはや、大変だった(でもちゃあんと新作仕入れましたよ)。



ようやく仕入れ選びを終え、自分のブースに戻り、そしてようやっと撤収の準備に取りかかる。もう周りは半分以上撤収を終えようとしていた。まぁ焦ることは無い。少しずつやって、ぼちぼち熊本に帰ればいい。・・・そうはいってもなんとなく焦る。それも祭りの作用のように思われる。展示していた什器の数も細かくて多いし、行きは奥さんに手伝ってもらいながら車のバンに積み込んだが、帰りはなんだかんだと荷物も増え、とにもかくにもなんだか心配だった。でも他のひとに台車なんぞを借りつつ、なんとかひとりで積み終えた。そのときの達成感といったらば大袈裟だけど、なかなかずしんとした心持ちはきっと他のひとには分かってくれないものがあると思う。それくらいこの祭りは自分にとって大きかったのだと思う。ひとつの地にここまで長い間泊まることもそうそう無いし、労力を使うこともあまり無い。もちろんそれは他の参加者、もっといえば作品を出されていたそれぞれの窯元さんたちももっともっと大きな安堵感があったんじゃないかと思う。この祭りのために長い間力を裂いて作品を創り続けたはずだから。まぁ兎に角、さよなら、天草。さよおなら、器の祭典。サヨナラ、愛すべきみんな。









・・・・・・と、挨拶をして帰ろうとしたら、無い。無い。ゲゲゲゲッ。カギが無い。車のカギがどれだけ探しても無いのだ。ポケットを探してもバッグのなかを探しても無い。無いものは無い。でも撤収をする前には確かにあった。もしかしたら撤収しているときにどこぞの荷物にカギが落ちたのでは…。でももうすでに車のバンに荷物はぎゅうぎゅうに詰め込まれている。しょうがなく、泣く想いで車の後ろのドアを開け、少しずつ荷物を降ろしてはカギを探してみるが、やはり無い。無いものは無い。そもそもどこの荷物に入り込んでいるかも分からないわけだから、もう一回最初から荷物を全部降ろしてカギを探さなきゃいけないのか。ま、まじか。どうすればいいんだ。もう外は夕闇を超えて、明らかに暗い。カギが見つからなかったら、このままここに車を置いて行かなきゃ行けないのかな。おれってなんでいつもこうなんだろう。焦りながらももはやどうにもならなくなって、ひとり泣きそうになる。というか、明らかに気持ちは折れてこころは全泣きだった。産まれてこの方のすべての我がトラウマがここに恐ろしく襲ってくる。あのときもああだった。このときもああだった。いくつになってもそうだった。いくつになっても我が影からは離れられない。いくつになってもこうやって途方に暮れることからは逃れられそうに無い。泣きそうになりながら、なぜか足が赴くままにふらふらと受付に行ってみたらば・・・なんとそこにカギがあった。落としたものを誰かが届けてくれたのだろう。もはや射精するほどの安堵感と高揚感。自らが偶然にも演出し描いたメイクドラマをくぐり抜けることの多大な苦痛さと疲れるほどの幸福感。すぐさま、想う。「・・・おれに似てしまった我が息子もこれから大変だろうな」と。

そもそもなんでこんなことを自分はここに書き付けているのだろう。家に帰ってからその一部始終を奥さんに話してみると笑いながら「最終的にそこで誰かのお陰でカギが見つかるのがあなた(でありわたし)よね」という。まぁそうだろうな。誰かの善意が無ければ自分は文字通りここにはいないだろう。それだけは確かなことだ。そしてすべての事は、悪い方に流れればもっともっと悪い方に向かっても良かったはずなのだ。なんだか根本的ダメ人間の結果オーライ讃歌のように聞こえなくもないが、まぁそれを引き受けるしかないのかもしれない。

でもそんな自分を引き受けながら、もういよいよ次の展示会は始まっておるのです。昨年もお世話になったモロッコラグの展示会。19日までですので、みなさまぜひお越しを。










2017年11月11日土曜日

文化が町を作る、とは

今回も昨年と同じように、天草に出向き、『天草大陶磁器展』の「アマクサローネ」に参加させていただいた。搬入日から含め実に五泊六日の旅。いやはや、なかなかにハードで楽しい旅であった。



昨年はモロッコラグの販売をしたけど、今年は友人でもあるきんちゃんの洋服ブランド『catejina』との出展で、洋服を始め、さまざまなうちの雑貨を販売させていただいた。まぁそんなに長い間、店を閉めて出展して果たして大丈夫なの?というのもあるのだけれど、今回はとにもかくにも我が友人を天草に連れて行きたかったし、とにもかくにももっと天草という地を知ってもらいたかった。それが必ずや長い目で見れば、今後良き面に左右するはず。つうか、そんなバディ的理由で事を進めていいのかと不安になるが、まぁいいんである。局面局面で己の意思で舵を切り続けるのが個人店の役目であり、強みなのだから。と強引に話を進める。



本会場のホールには地元天草の創り手を始め、実に110の窯元の出展者があり、その器うつわした広がりはなんとも圧巻であった。見ても見ても、うつわ、器、ウツワ、utuwa…。そこに過去最高の来場者数も相まって、ホールはなにやらとてつもないグルーヴを醸し出していた。110も創り手がいれば、もちろん自分的には絶対選ばないテイストの創り手もあるのだけど、いやいや確かにその点こそが大陶磁器展としての醍醐味であるかもしれなくて、果たしてどんなひとが足を運んでも何かしら引っかかる器が見つかるのかもしれぬなぁ、と小さき店の店主はおののくのであった。



・・・ただ、逆にいえば、だからこそうちのような小さな店主のエゴ&チョイス丸出しな店の役割も見えてくるというか、その点を確認できたのも大きかった気がしている。実際に会場にいらしたうちのとあるお客様もおっしゃってたけども、100を超えるあの圧倒的なラインのなかからたったひとつの器を選び抜くエネルギーというのはひととして確かにハンパないわけで。そこを小さな店のこの店主のあまりに偏った独自目線でしっかりと選んでは無闇巧みに編集し、そしてそこのあなたにどうにか紹介するのがなんとしても自分の役目なのだと。まぁいろんな独自目線が存在するのも大事だから、ひとそれぞれでいいけども、たまたまこの店の目線を共有できて、喜びを他の誰かと分かち合う、それだけがこの世の中を熱くする、といった感じになればいいよなぁと思ったりするわけで。

だから我の売り場をさぼっては器の渦のなかに没入し、「・・・ああ、なんだかんだいっても自分は器が好きなのだなぁ」とぼんやり思いながら会場をぐるぐる周ってさまざまな作品を観ては、あらためて自分の店がチョイスした作家たちの素晴しさを鑑みるという、よくわけのわからぬ自画自賛的作業を結構繰り返した。もちろん新しい出会いもあったけど。



それにしても驚いたのが、器が売れゆくパワーだった。それぞれのお客様たちの買い物かごにはそれこそ器がいっぱいいっぱい。モノが売れない売れないと嘆く売り手たちを他所に、この圧倒的に結集した創り手たちの作品はぼんぼこと旅だっていく。でもまあそれもこのとんでもない舞台あってのもの。こんなとんでもない舞台を用意する主催者の方々の苦労を思うと、んもうヤになってしまうくらいだけど、そこまでしないとここまでモノは動かないということなのだろうかしらん。

まぁそれはそれとして。今回の旅はどちらかというと本当に我が友人にこの地を知ってもらうためのものであって、もちろんそれは昨年のこのイベントに参加させてもらったことで自分がこの地を改めて知ったからに他ならなかった。しかもcatejianのきんちゃんとは本当にお互い時間があればあるだけ延々と食い物とか酒とかウマい店の話ができるという、食い吞みバディであって、そこに新たに天草という共通の体験ができるだけで、はたまたその話を肴に新しい酒が飲めるであろうという、終わること無いループ&ループな旅の始まりでもあるのかもしれなかった。もはや聖地と呼びたくなるくらいの「丸高」。いわんや、丸高に始まり丸高に終わる。そして、どう始まろうとも汝なぜか食道園に終わる。熊本市内ではもはや過ぎ去り消え去りし古き良き老舗のグルーヴが日夜僕らをキックする。












catejinaは今回のために「SHIRO AMAKUSA」ロングTを創ってくれて、かなり好評であった。新作のサッカーマフラースウェットもこれまたかなり手応え十分で、11月23日からまたキックするうちの展示会でも好評だろうと推測する。数字的にはとんでもなく良くもなかったけれど、まぁなんとか悪くはない感じだ。昨年はこの天草という地がなんとはいっても島である、ということを身を以て知った旅であった。であれば、今回の旅の意味とは(というか果たしてそんなものがあればの話だが)なんなのだろうと、特に最終日、ひとりになってぼんやりとしながらずうっと考え続けていた。



カルチャー。答えはたぶん、それだった。あたりまえにそれしか無かった。もちろん僕は友人にこの地をもっと知ってもらいたくて今回の旅に出向いたのだけど、それはもっといえばこの地にしっかりとしたカルチャーが存在するからに他ならないのだった。それは食べ物しかり。そして音楽しかり。例えば展示会中に入り口のところで地元ハイヤの踊りが催されていたのだが、これがまた素晴しく、市内から来たきんちゃんの友人のDJはあまりに感動してフル尺を聴き入ってしまったくらいだった。でもそれがどんなグループが演ずるハイヤであってもそうあるかといえばどうもそうでもなく、やはり歌う、弾く、踊るひとたちによってグルーヴというかそのネイティヴ具合にどうやら違いがあるようで、こちらのノリにもそれは確実に伝わってくるのである。ということは、つまりそれだけ奥が深いに違いなくて、地元のひとからすればそれはたわいもないことなのかもしれないが、でもそこには歴史に裏付けられた確かで豊かなカルチャーが存在するといっていいだろう。そしてそれはもちろん陶芸の世界とて同じであろうと思う。天草陶石をバックボーンにしながらこの地が産み出す作家、作品の数々はあまりに豊かで、なぜ未だに地元熊本でもその事実を知らない人間がいるのかと訝しがりたくなるくらいである。でもそれは渦中のひとびとにはなかなか分からない。ましていわんや豊かさのなかにいるひとたちにはますますそのことは分かりっこ無い。そういう意味ではこの地は本当に豊かであると思う。そのことを体現した僕らにできることとは果たしていったいなんなのだろう。そんなことをぼんやりと考えている。・・・とある賢者は言った。「人びとの文化は、町を作る。そして都市を作る。」今回の旅でその言葉がこんなにも身に滲んだことをここに記しておく。











2017年10月21日土曜日

『BLA BLA BLA GO WORKOUT』 SUPER8 Illustration exhibition によせて




イラストレーターでもデザイナーでもはたまた映像をも手がける“SUPER8”こと、上妻勇太くんと出会ったのは、そもそもは作品が先だった。僕はこの仕事に就く前に、『九州の食卓』という雑誌の編集に携わっていたのだけど、僕が辞めた入れ違いで彼はデザイナーとして編集部に入っていた。辞めた後もなんとなく本誌をめくってはいたのだけど、そんななかで突如かなり惹き寄せられるイラストが描いてあるのを誌面で発見した。僕はあんまりイラストを見てそこまで反応する方でも無いのだけれど、そのときはちょっとなにかが違ったようだ。イラストはジビエ特集のヤツで、鹿なんかが描かれていたように思う。

ほどなくして彼も編集部を去ることになり、フリーの道を選ぶことになって、そんなタイミングでお互いに出会うことになった。もし編集部でお互いが出会ったらどうなっていただろうなぁ・・・と思わないこともないけれど、でもまぁその後こうやって出会ったのだから、出会うべきひととはきっと出会うのである。本当にこころからそう思う。それで始めにお願いしたのは「プラントハンター」でお馴染みの西畑清順さんの『そら植物園』の展示会のDMだったんじゃなかろうか。



なんというか、もちろんお互いカルチャー好きはそうなんだけども、なんせお互いに出が違うと言うか、毛色が違うと言うか、なかなかに接点が見つけられずに最初は苦労したのを覚えている。僕の場合はカルチャーといってもほんとに好き勝手無作為乱暴な道を辿っていて、例えば「とある欲しい感じ」を説明するのに本当に苦労するのだけど、やはり芸大、大学院までも通った上妻くんの場合はそこにやはり知があり肉がある。つまりは僕からすると彼はかなりのインテリジェンスなんですよね。弁が立ち、頭が速い。だからして僕はビートルズの『リボルバー』のレコードのジャケをどっからか持って来ては「自分が想うサイケデリックっていうのはさぁ・・・」とかいってわかりにくい講釈を垂れることになる。まぁそういうのも、というか、そういうのが、愉しいんだけども。それからは奥さんのマッサージの広告だとか、DMだとか、ほんとうにいろいろな仕事を(薄給ながらも)お願いをした。そしていまでもその関係は続いている。

さて。そんな彼がワークアウトに走るようになったのは、果たしていつのことだったろうか。震災前にはそんなことは無かった気がする。気がつけば店に来るときの服もなんだか吸収性の良さそうなハイパーな素材のスポーティーなものに替わり、カラダも顔のラインもこころ無しか引き締まり、話を振れば妙にプロテインなんかに詳しい男になっていた。なんせ凝り性である彼のことだから、そうなったらばそうなるであろうとは薄々思っていたけど、まさかここまでワークアウトに走るとは、驚きでもある。そしてとある日、彼から展示会の話をいただき、テーマを聞いてみるとやはりワークアウトであるという。本人が書いたDMの文章には「筆を捨てよ、ワークアウトへ出よう」なんて言葉が記されているではないか。絵描き本人が「魂を解放せよ」なんてメッセージではなくって、「ワークアウトに出よう」なんていうメッセージでもって展示会に挑むのは、なかなかに無いことではないだろうか。




かくいう僕も、子供が産まれる前までは、一時期ワークアウトに走ったことがある。だから思うのだけど、ワークアウトすると確実になにかが変わる。なにが変わるって、まず文章を書く人間であれば、文章が変わる。そのリズムが変わる。ワークアウトする書き手で最近で最も有名なのはもちろんハルキ・ムラカミ氏であろうが、彼も走るようになってすべてが変わったと書いていたと思う。個人的にいちばん大きいのは、「なにかがほぐれていく感覚」だ。例えばとある文章を書かなければならないのだが、そのまず一歩がなかなか出ない、ということが書く仕事をしているとよくある。あまりにテーマが大きくてあたまのなかでそれがぐるぐるぐるぐる周り、掴もうとすると、つるつるつるつる逃げる。だからずっとPCのスクリーンの前で悶える。喫煙者であればタバコの本数がただただ増え、時に居眠りをし、時に鼻くそなんぞをいじくり、無駄に胃袋に食べ物を詰め込み、そしてまた時に眠る。ずうっとその繰り返し。・・・そんなときである。外に出て、走るべきなのは。そんなときこそである。ワークアウトに走るべきなのは。ワークアウトとは明らかに反復行為であって、それは言って見れば、ぐるぐるぐる周って掴めないあたまのなかと同じなのだけど、それとともにからだが実際に動いていると、少しずつなにかに近づいていく感覚が見えて来る。繰り返しのなかから、繰り返しのなかでこそ、見えて来るなにかがある。反復行為のなかで、どこにも行けないのだけど、少しずつなにかがほぐれて見えて来るもの。つるつる逃げる文章の端からようやくこぼれ落ちて来るもの、あるいは一瞬にして上からぽたりと落ちて来る書き出しのようなもの。それらは反復行為のなかでこそ、落ちて来るもの、だと思う。気がつけば、自分の呼吸の具合も変わり、それによって文章の息の長さとかリズムもこころなしか変わってくる。もしかしたらそれは新たな自分かもしれなくて、結局のところ、僕らはどこへも行けないかもしれないが、そうやって自分を少しずつ更新していくことはできる、と言えるのかもしれない(と書くと、それこそまるでハルキ・ムラカミみたいだけど)。



・・・と、展示会の作品を前にしつつ失礼を承知の上で勝手ながら長々と書きなぐったのは、今回の展示会のテーマを元に考えた、あくまで文章を書く人間の、僕自身の戯言である。でも果たして絵描きの線が、文章とどこまで繋がっているかは、絵描きではない僕には分からない。ただし、明らかになんらかの変化があるのは確かなであろうと思う。彼は今回のDMで「日ごとに身体の細部まで神経が通っていく感覚は、思い通りの線が引けた時の感覚と似たような感覚だった」と書いている。果たして彼は日々の反復行為のなかで、どんな景色を観て、どんな更新をしたのだろうか。この展示会で、もしかしたらそれが分かるかもしれない。その辺を考えながら展示会を観て行くのもいいかもしれない。作家はできるだけ在廊してくれるみたいなので、気になる方は本人を捕まえて話を聞いてみてください。というわけで、本日から展示会が始まります。








2017年10月16日月曜日

ひとを惹き付けるなにか




どうやら、『子供の領分-children's coner-』も無事終わりそうだ。いや、というか、大成功であったというべきだろう。もはや初日、二日目だけでかなりの作品が動いていたし、他県からいらしてくれたり、二回足を運んでもらったり、嬉しいことにもはや作品もあまり残っていなかったりと、すこぶる人気であった。と書くと、なんか他人ごとのようですが。11月の『天草大陶磁器展』を控え、おふたりにはクソ忙しいのに店に来ていただいたり、木さんにあっては窓や壁(プラ版)に画を描いていただいたりと、本当に無理をさせてしまった。とても愉しかったけどね。

例えばトウキョウやら関西やらの都会の方のお店で、よく展示会で完売とか、あまりにひとが多くて整理券を配るとか、そういう話をよく聞いたりするのだけど、なんかそういうのヤだなぁとか、そんなことになってしまったらばたぶん俺は逆に店をやる気無くしてしまうだろうなぁとか最近ぼんやり考えているのだけど、いやいや、というかそもそもそんなアゲアゲの状態に自分の店がなるとは思っていないし、決してそれを望んでもいないけど、とはいえ、今回のこのふたりの作家にあってはお客様の反応を見ていると、いつそうなってもおかしくは無いと言うか、それくらいにふたりとも持っているモノがちょっと違うと言うか、こっちがちょっと悔しくなるくらいの眩しいなにかがこのふたりの作家たちには確かに在って、それが販売という身に我を置きながら、よおく分かった。特に今回はよおくそれが分かった。



ひとを惹き付けるなにか、惹き付けて止まないなにか、とはいったいなんなんだろう? 自分はそのことに以前から何気に興味があって、常々そのことを考えて来た。もちろん努力は土台に必ずやあるだろうし、それがないと続かないしなんにもありえはしないのだけど、ただどうも努力では越せないものが、ひとを惹き付けるなにかにはある気がしている。それは僕から言わせると、もうどうしようもない星回りのようなものであって、生まれ付きの要素がとても大きい気がする。で、なぜそんなことを言い切れるのかいえば、なんせ自分がそういうものを持っていないからだろうし、それは自分でも十二分に理解していて、だからこそ自分はある意味、表に出ない裏方である、伝え手、媒介という位置を選んだのだと思う。

例えば自分には高校から親友と呼べる友がひとりいるのだが、その彼がひとを惹き付けるなにかを持っている人間で、僕と彼は昔からポジとネガの関係だったような気がする。お互いに持っているものがあまりに違うため、とても分かりやすく比べやすい。少なくとも自分にとってはそれが大切なひとつの指針であったような、今でもあるような気がする。例えばサッカーチームをいっしょに組んでも自然にセンターフォワードの位置になったり、しかも大切なのがそれを周囲のひとが誰も異論は無いということで、例えば大勢で写真を撮るときでも必ずや一番の位置にいるひと。クラスの人気者。表舞台に出るべきひと。そういうひとって、いますよね。彼は僕がもやもやだらだら人生に悩んでいるときからすでにして自分の道を決め定め、飲食店を経営し、文字通り表舞台で人気者のカフェの店主としてずっとカウンターに長年立ち、最近では自らの意思でカフェからラーメン屋に転身を図った。きっとそれもうまくいくだろう。すでにしてラーメン屋の立ち振る舞いと光を身につけているくらいだから。



比べると自分はやはりどうしても裏方の人間であって、本当は表に立つべき人間じゃないような気がする。表に立つには感じが重いと言うか、軽やかさが足りないと言うか、まぁそれは文章を書く人間なんてそんなもんだよと開き直ってはいるのだけど、そしてそんな人間がやる店がひとつくらい世の中にあったっていいじゃんという開き直りでこの店だってそもそも始めているのだけど、とにかくまぁ自分ではそのことに十分に自覚的なつもりである。だからこそ、こんな長たらしい文章をここに書き付けているのだろうし。

そういう意味でいうと、特に今回の展示会なんて、そんな自分だからこそ形作れた展示会なのかもしれないし、そんな裏方なりの情熱を受け止めてくれた創り手の方あっての展示会であって、でも結局のところ、そうやって展示会を創り上げていくことこそ、売り手であり伝え手である僕の悦びでもあるし、もしそれが買い手であるお客様に届いて悦びに変わるのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。だって僕はそのためにこんな店をやっているはずであるのだから。そして今回の展示会は特にその悦びがこちらにもビンビン伝わったというか、感度と密度の高い展示会だったように思う。こちらが込めた弾はとても重いものだったけれど、きちんとそれがどこかで受け入れられた感覚が強くある。そのことがとてもとても単純に嬉しい。気がつけばこの店も四周年を過ぎていた。もうすぐ、また次の展示会が始まる。








2017年10月6日金曜日

展示会『子供の領分-childen's conner-』によせて。その2







ただし、今回の展示会における直接のきっかけになる出来事は、旅行中にはっきりとひとつあった。旅行中、岡山の美観地区にある、とあるギャラリーに僕らは行った。そこは老舗のギャラリーで、岡山でももしかしたら結構知られた店かもしれない。全国から取り寄せられたさまざまな器が所狭しと店に置かれ、お店には率直に「おばあちゃん」と書きたくなるような女性が座っていて、でもひとつひとつの器について伺えば、しっかりと丁寧にその作品について教えてくれる店。率直にいって、どう考えても素晴しい店なのだと僕も知っているのだが、なんせその時の僕らは先に書いたように子供ふたりを連れた状態で、買い物を愉しめる状態ではなかった。だから奥さんだけ店に入ってもらって、軽く器を見てもらうことにした。僕は子供ふたりをベビーカーに乗せつつ、抱っこをして外にいた。まぁ真夏だから暑くもあったが、とてもじゃないがふたりを連れて店内に入ろうとは思わない。

・・・と、そのおばあちゃん(と敢えて書いてしまうけども)が僕らの方を見つつ、奥さんに何かを言っている様子である。そして奥さんがしぶしぶ外に出てきて僕らにこう告げる。「気にしないでいいから、子供も一緒に入って来なさい」と言っているよ、と。驚いたけれど、恐縮しながら僕らはひとりずつを抱っこして店に入った。いや、上の子は店に降ろしたっけな。でも結構おとなしくしていたと思う。そしてそのおばあちゃんは僕らにおもむろに、でもはっきりと、こう言ったのだ。「・・・あなたたちね。もしかして自分の子供たちにプラスチックの器なんて使わせていないわよね? 絶対にダメよ。子供だからこそ、ちゃんと壊れるもの、割れるものを使わせないと。壊れるものを使わせることで、子供にだってモノの尊さが伝わるんだから。それがなにより大事なのよ」。その言葉通りでは無かったかもしれないけれど、そういう意味のことを彼女は僕らに伝えた。そして僕らが数枚器を買って帰る時に、上の子にと、子供用の飯椀をサービスとして入れてくれたのだった。

たぶん、これは自分が店をやるようになって、いちばん大きな衝撃を受けた出来事だった。それはもちろん割れ物屋なのに子供を自ら受け入れてくれたこととか、器をサービスしてくれたからとか、そういうことだけではなくって、なんというか、お店として何かを伝えることの本質であったり、それをお店として貫くことの大事さだったり、そしてその店で起こったすべての出来事が自分が普段モヤモヤしていた、たったいまこの国で親として小さな子を育てて行くときに感じる「なにか」に対するカウンターじゃないか、と激しく思った。これは、この感情をそのままにしておくことはできない。と、僕らはすぐに帰りの新幹線で話し合った。これは、誰かになにかを伝えなければいけない、と。



そしてその相手と言ったら・・・僕らの友達でも取引先でも同じくらいの子供を育てる親同士でもある、何より夫婦ふたりともたったいまウェイなビッグウェ―ヴに乗りに乗った器の創り手でもある、金澤宏紀くんと木ユウコさん夫婦しか居なかった。どう考えても、今回のこのことを伝えてきっと、いやもしかしたらば理解を示してくれるのは、少なくとも僕にはおふたりしか浮かばなかったのだ。ある日、とある焼肉店で、お互いの子供たちが暴れ騒いでちっとも満足に食べたように感じない焼肉を食べながら、僕はその旨をふたりにとつとつと伝えた。一歳になる娘さんを抱えながら、お二人は11月の大イベントである『天草陶磁器展』を控えていた。もちろんそれだけでなく、お二人とも発注分やら止まることの無い納品やら、さまざまな仕事を抱えていたはずだ。いま考えると、そんななかでよくもまぁ無謀なるお願いを創り手の方に直接したものだな、と自分でも思う。ほんとうに恐ろしい。期間的にいっても、どう考えても断られてしかるべきだ。でもたぶんそれでもそうやって無理を相談させていただいたのは、それくらい岡山での出来事の衝撃が自分なりに大きかったのだと想像する。とにかく、誰かにそのことを伝えて、できればなにかの形に昇華したかった。そうしてそのなにかの形に触れること出会うことで、微かにでもいいから、ふと誰かに立ち止まってもらいたかった。ただし、この点もなにより大切なのだとおっさんである自分は分かっているのだけど、ひとは大義や名分だけでは決して動いてはくれない。やはり受け手に、実際になにを届けられるかが一番大切なのだ。今回の場合でいうと、やはり届けられる作品がなんといっても一番大事。それらすべてを踏まえた上でも、現在の僕に取ってはこのふたりしかいなかったのだと思う。「・・・まぁ、ある意味、自分たちの娘にむけた作品を創ればいいんじゃないかな」。たしかふたりはそんなようなことを、その場で言ってくれたような気がする。結局、最終的におふたりがこの無謀なるお願いを引き受けてくれたことに対しては、僕にはもうここにこれ以上書き付ける言葉を持たない。ほんとうにありがとうございます。

子供が使える器、いや子供でも使える器、でもだからといって決して子供に媚びない器、子供の柔らかな感性だからこそに訴える器・・・。そんな器をお二人に創っていただけたら。結果的に今回は共作のブランドである『Scarlet Company』名義で創っていただけることになった。・・・そおおりゃ、嬉しかったですよ。直接、上天草にある住まい、兼、工房に家族みんなで泊まりがけで押し掛けて、木さん手づくりの餃子を子供たちと一緒に包んで食べたり、ああでもないこうでもないとワインを飲みながらいろんな話を延々と話したことは、もうすでに良き想い出だ。そして無謀なる大いなる山を動かすには、やはり人間、熱意しかないのだろうと、かっこつけてここに記したいところだが、決して良い子のみんなは真似しちゃダメだと思います。たぶん自分だってこんな無茶はこれっきりであるはず(たぶん)。そして今回の作品の素晴しさをここで記すような野暮なことは自分はもうしない。ぜひその目と手でしっかりと確かめて欲しいと思います。

そしてここに二回に分けて書き付けたことは、あたりまえにあくまで僕の主観によるところのただの経緯でしかなくって、今回のおふたりの作品にはほんとうのところ、そんな主観はまったく関係ない。作品はそんな戯れ言と無関係に、ただただそこに素晴しく存在する。本当は作品にそんな戯れ言を被せるのはまったくもって失礼な気がして、書かないことも考えたけれど、でもあまりにも今回はおふたりに無理をいってしまったし、だったらばその経緯や理由を説明する必要がある気がどうしてもしたから、こうやって書いた。だからもちろん、お子さんに関係ない方だとか、僕の書いたことに真っ向から反対するひとにだって展示会に来て欲しいし、ぜひとも器を手に取ってみてほしい。こころからそう想い願う。ということで、明日から展示会です。




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子供の領分-Children's Corner-
presented by scarlet company.
2017.10.7(sat)~10.16(mon)
「子供のときだからこそ、しっかりとしたうつわを使わせなければダメよ」・・・とある賢者は僕にしっかりとそう言った。プラスチックなんかでは決して得ることのできない、割れて壊れてしまう儚い刹那と、未だ柔らかで豊かなその感性へ丸ごと訴えるような煌びやかな芸術性と。だからといって決して子供に媚びることのない、大人も子供も共に使える伸びやかな普遍性と。そんな器が欲しい。そんな器こそ、このまるで体温を感じさせないような現在の世の中に提案したい。わがままで仕方ないそんなお願いを「Scarlet Company(スカーレットカンパニー)」のふたりに投げてみた。その答えが、この展示会といえそうです。
★「Scarlet Company(スカーレットカンパニー)」
PRODUCED BY KANAZAWA HIROKI&SHIGE YUKO
/SINCE 2017/FROM KAMIAMAKUSA TO EVERYWHERE...
※期間中は『自然派きくち村』による食材の販売、その食材を使った『KOKOPELLI(ココペリ)』オリジナルのお菓子なども販売します。
※photo:hisatomo.eto/subject:uta.nakamura