2015年10月6日火曜日

二周年

そういえば、気がつけばお店が二周年を迎えていたようだ。たしか10月末くらいのオープンだったと記憶しているので(違ったっけ?)、木 ユウコさんの展示会をしていたときに無事、二周年を迎えたことになる。・・・といってもまぁ、なんかそこに深い想いがあるかというと別にあるわけでもなく、そういや二年の間に移転したかなぁくらいのことだろうか。



よく聞かれる質問に「移転をして何か変わりましたか?」というのがある。現在のお店の場所は街中といえば街中であり、以前は弱冠、郊外気味といえば郊外気味だった。とにかく前の店は一軒家、住み込みでやっていたから(二階で生活していた)その点も大きくて、いや、というかなんといっても前の店は場所がわかりにくかった。看板という看板さえ出していなかった(オープンスタジオのタローさんに彫ってもらった阿蘇の溶岩プレート看板のみ)。どれくらいわかりにくかったかというと、何度も何度も店の前を通れど見つけられずに結局は諦め、そしてなんと、こっちに移転をしてようやっと来れました、という方がいらっしゃるくらい。しかもそれがひとりではなく、数人いらっしゃるという。・・・これはもう店としてある意味おかしいと自分でもちょっと思う(移転後は最初から看板スペースがあったので、看板を付けた)。




でもいいわけをするわけではないけれど、自分が東京にいたころに好きだった店は大抵そんな風貌の店だった。なんというか、人にこちらから分かってもらう、というよりかは、気づくひとは気づく、という感じ。どんな店でも同じだろうけど、やっぱり店の風貌というか雰囲気というのは入る前からきちんとあるもので・・・いや、僕はあるべきだと考えていて、入る前から「これは合わなさそうだな」と感じたら別に店なんて入らなくてもいいのだと思う。でももちろんそこで、その日、突然に特別な気まぐれの風が吹いていて、「いつもだったらこんな感じの店には入らないけど、なんか今日は気が向いたから入ってみよう」というのは確実にあって。そして自分は何よりどちらかというとそういう「その日だけの心変わり」みたいなものがかなり好きで生きているニンゲンなので、どちらにしてもそのためには店側の風貌にある程度のそれぞれの態度みたいなものはあった方がいいと思うのです。

もちろん東京と地方の違いは格段に存在する。東京は人も多いからこそ、そんなやり方も成り立つんだ、という言い方はまったく正しいだろう。あるいは地方は大抵車文化なので、やっぱり遠くからでも分かる看板を掲げた方がいい、というのもまったく正しいと思う。でも東京でも地方でも、その店の風貌にピンと来るひと、気づくひと、というのは一定数は存在するのだ、とも思うわけで(そう思わないと店なんてとてもじゃないけどやっていけない)。そしてそれは実のところ、店主である僕自身の存在意義のようなものに直結してくるんじゃないかとも感じている。自分がその地でどこまで自分を開き、あるいは隠し、どこまでのひとたちと繋がることができるのか、が試されているというか。もちろんうちは雑貨店なので、その商品力が何よりでかいけれど、でもそれだって何を選んで何を選ばないかは自分次第だし、その打ち出し方も自分次第。どうやったって、どんなひとがやったとしても、店にはそのひとのなにかが滲み出てしまうはず。そこにどれだけのひとたちが魅力を持ってくれるか、がきっと勝負になってくる。



・・・なんてタンカ切って書いてはいるが、はっきりいって自信はない。だって自分を分かってくれるひとが世の中にどれだけいるのかなんて誰も想像もつかないでしょう。ピンとくるひとは一定数と言っても、その一定数が限りなく少なかったらどうすればいいんだろう。・・・やっぱりそんなひとたちは少ないのだろうか・・・いやいや、きちんとここにいるじゃないか、ほらほらちゃんとお客さん来てくれたよ。・・・うーん、やっぱり少ないなぁ、東京砂漠じゃないと無理なのかなぁ。とまぁ、もう来る日も来る日もその繰り返しである。うちは足つぼマッサージと併設になっているから、その辺大丈夫なんじゃ、と思っている方もいるかもしれないけど、結局はマッサージだってまったく一緒も一緒。しかもうちの奥さんもどちらかというと門戸を狭めて本質ありき、で行っているひとなので、お客さまに伝わっていくのも本当に少しずつ、一歩一歩。そのかわり伝わる方には腹からしっかりと伝わるらしく、リピートされる方もいらっしゃるようで、その点はとても嬉しいと感じているところなのだが。

・・・まぁ考えてみるとなんのことはない。どこの会社にいても同じことのような気がしてくる。以前勤めていたいくつかの会社でも自分を分かってくれるひとはいるのだろうかと常に考えていたし、ピンと来てくれるひと、来ないひと、それぞれだったように思う。自分は大抵、運良くピンと来るひとと出会い、一緒に仕事ができることが多かった。そして自分を分かってくれるであろう一定数のために、そういう人たちと一緒に、その時その時の仕事をこなしていたのではなかったか。結局その一定数というのは、マーケティングなんかで計れるものではなくて、己を信じながら少しずつ実感していくものなのかもしれない。そして諦めずめげずにやっていけばこそ、その一定数は少しずつ増えて行くことを願っているのだけど。・・・とここまで書いておいて、こうやって長々と自分の店のことについてとやかく書いていく店、なんてものを受け入れない一定数だってたくさんいるだろうなぁということに気づくのだった。