2016年11月15日火曜日

三周年




気がつけばまた一年経ち、どうやらお店が三周年を迎えていたようだ。前回もそうだったけど、ほんと気づくのが遅いし、その辺どうでもいいのかなまだ今は、と思ってる感が出てしまっている。いや、というか、たぶんこの2016年が凄まじくいろんなことがありすぎたせいかもしれない。でもだいたい10月末がオープン日みたいなので、今回の移転オープンはちょうど三周年と重なってたんですよね。んもう、誰か言えつーの。俺、気づけっつーの。

無事三周年のタイミングを迎えることになった移転先のこの店舗。満月ビル。結構場所も分かり難いし、街の中心部からちょいと離れているし、古いビルの3Fだし、全部自分でただ白く塗ったハコだし、隣の隣はなぜかボクシングジムだし、なかなか斯様のハングリーな状況なんだけど、結構通じるひとには通じているようで嬉しい。どちらかというと前回の店よりもコアな感じというか、分かってくれるひとには分かるよね的な趣きではあるので、そりゃやっぱり伝わると嬉しいんですよね。しかもなんか創り手のひととかうちのハードコアなお客様にひとまずびんびん来てる感じがますます嬉しくて。

こないだもそんなハードコアなお客様のひとりとずっといろんな話をしていたのだけど。

「こないだテレビで観たんだけど。やっぱり広告もメディアミックスが大事みたいね」

「ふーん。その言葉ちょい昔からよく聞くっちゃ聞くね」

「やっぱり例えばそれぞれの世代で見るメディアが違うから、当たり前にその辺も考慮して広告のお金の配分も決めなきゃいけないのよねぇ」

ふーん。そうなのか。まぁそうなのだろうなぁ。僕もこれまで店をやっていていちばん歯がゆいというか考えどころなのが、やっぱりちゃんと届いているひとに届いているか、ということであって。このSNS中心なご時世、うちもフェイスブックやらインスタやらを主に宣伝しているけど、どうもあれもよく分からないわけで。閲覧数なんかで数字は出るので「おお、届いとる届いとる」なんて一方で安心しちゃうけど、でも言ってみればあんなのただのカウント数でもあって、実際にお店の門をくぐるかどうかなんてもちろん分かりゃしないのだ。でも見えないものに力を使うよりか(例えばビラ配りとか)一応成果のようなものが見えやすいからやる側も安心は安心、というか。

ただ逆にSNSに囚われすぎると極端にムラ化してしまうというか、却って見方を狭めてしまうようで恐い面もあるな、と最近思った。例えばうちの奥さんなんかは基本、一切SNSみたいなものはしないひとなので、じゃあそんなひとにどう情報を届ければいいかというと、そこで止まってしまうわけだ。じゃあやっぱりあれでしょ、なんつってもほら口コミでしょ。となって、確かにそれくらい力強いものはないのは分かるのだけど、やっぱりそれにはそれ相応の時間の熟成みたいなのが必要になってくるだろうし、それより何より店を実際にやっていて驚くのは、自分の思考を遥かに越えた世のひとびとの嗜好世界の壮大さというか。

例えば自分が知っている店で熊本でもう十何年もやっていて、よく地方のメディアにも出てて、自分からしたらそらぁ大メジャーで知らないひといないっしょと思う店であっても、結構知られていないことが多いのだ、実際は。そのことにいつもいつも驚かされる。結局そのメジャー感はあくまで「自分のメジャー感」でしかなくって、世間はそんなこととは無関係にそこに在る。自分が考えているより遥かに世間は広いし巨大で、いろんなひとが居る。こう書くとそんなの当たり前じゃんと思うかもしれないけど、どうもそれを忘れがちなのですね、少なくとも僕は。こんな風にスクリーンとにらめっこしながら仕事をしている感じを装っているとどうもそこを忘れがちになる。

どんなひとでもいろんな繫がりのなかで生きているので、自然と知らぬうちにトライブ(集合体)のようなものができがちで、SNSがそれをまた色濃く反映し、そのなかで情報が生き渡れば知れ渡ったなんて思ってしまうけれど、それは大きな間違いであって。たかが熊本であっても実はそこに広がるのは広大な、まだ見ぬひとびとの大きな大きな連なりであって。そういう意味で今回の大統領選もなにか勝手ながらひとごとではなかった。本当に届いているひとに届いてるのかなぁ、届いた上での結果なのかなぁ、都会と地方、知識人とブルーカラー、SNSを駆使した情報戦、桁はまったく違えど、案外僕らがやっていることとそう遠くないのではないだろうかと思ってしまった。

「お前の視野と生活範囲はとにかく狭いんだから」。いつもそう自分に言い聞かせるようにしている。自分たちのトライブとは違う島が世にはたっくさんあって、そのひとたちだってもしかしたらうちのような店を求めているひともいるかもしれないのだと。そのひとたちに届けるにはどうすればいいのだろうかと。そんなことをぐるぐる考えながら、のろのろと三年目を通過する。










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