2017年12月1日金曜日

『catejina』との出会い



そもそも『catejina(カテジナ)』という洋服ブランド、そしてきんちゃんこと、告鍬陽介くんに出会ったのはいつの頃だったろうか。僕がまだ前の編集の仕事を辞めて、離婚もして、なにか人生の路頭と陶酔に迷い込んでいる頃だったような気がする。アルコールとセックスとセンチメンタルの霧が、色濃く深く、真っ黒で真っ白な霧の最中に居たあの頃。あの頃はあの頃で愉しかった。そしてやっぱりせつなかった。

そんなとある日、トウキョウに住む、大学時代からの悪友ともいえる女友達からとある連絡があった。「熊本出身の洋服の創り手で、とても面白い子がいるから会ってあげてほしいのだ」と。できれば熊本で洋服の取り引き先も探しているから紹介してあげてほしいのだと。果たして創っているのがどんな服で、創っているのがどんなヤツか、なんてまったく聞いていない。その状態のまんま、僕らは熊本駅で僕がその頃に乗っていた古いジムニーで「はじめまして」と出会った。なんでそんなことが起きたのかと言えば。というか、なんでそんな出会ったこともない人間とそんな流れになったのかといえば、もちろん僕がその頃暇だったからに他ならない。・・・のだが、そうはいっても僕だって見知らぬひとにそんな風に普通は会いはしない。それはなんといっても彼を紹介してくれた悪友の女友達のお陰である。昔っから彼女のセンスは、なんにしても間違いが無かった。「まぁ彼女が言うんだったら」。それが一番大きかった。あのウソみたいな90年代をともに同じ大学で送り、数えきれない程の酒を呑んでは呑まれ、本当にお互いいろんなことがあった悪友だけれど、最終的に僕らはまだ奇しくも悪友同士で、まだともに生きている(そして今ではお互い子どもが居る。なんと、お互いに子どもが!)。なんにしても僕らを繋げたのが彼女だったということは、僕にとっては本当に大きいことだった。だからこそ出会うべくして出会った、と言えるだろうから。





その頃『catejina』は自ら描いたイラストを全面に押し出した総柄のシャツなんかを創っていた。すごくパンチとフックのあるテイストで、アートでグラフィックっぽいといえばそうもいえるし、いやいやゲーマーでオタクといえばそうだし、なんだかジャンクっぽいといえばそうもいえた気がする。そしてその頃からなんだかやっていることが分かるような分からぬような、分かるひとには分かるような分からぬような、でも結局のところ他にはこんな服まずもってないよなぁ、創っているヤツの頭の中はどうなってんだろう?という感じであった。友人の店を数店舗紹介しがらともに出向き、創り手のきんちゃんはほとんど旅芸人のごとく大荷物の中から洋服のサンプルを出しては見せ、出しては見せ、そこで出会ったひとびとのいろんな意見を聞いたりして頷いたりしていた。それはすぐには結果に繋がらなかったけれど、それも今となっては良い想い出だ。いま考えてみると、そんな出会いはそれから5、6年後である現在の布石に違いなかったのだ。

僕が店を出してからも、きんちゃんはトウキョウからこっちに帰省しては、いつも必ず店に顔を出してくれた。来るたんびにそのときどきでやっていた展示会を見に寄ってくれては褒めてくれた。僕にとってはじつはそれはとても大きなことだった。もちろん僕だって自分で間違いないと思ってやっているのだけど、なかなか鳴かず飛ばずで(それは今もだけど)やっぱりこれってどうなんだろう、正しいのかな、ダメなことやってるのかな、と自信が無くなることもある。といって僕は熊本に向けてなにかをやっている意識はほぼ無いので、トウキョウに住むいちクリエイターの意見はとても貴重だったのである。そんななか、どうやら今年そのきんちゃんが熊本に帰ってくると聞いた日には、本気で嬉しかった。ああ、これで自分周辺のなにかが変わる、と喜んだものだった。こういう風に周囲の温度を少しばかり上げる男というのは、実はいそうでなかなかにいないものなのだ。



それでなくともきんちゃんとは本当に食の趣味が合う。お互い長い間トウキョウで過ごして来ているし、好きな感じの店とか食の話を始めると延々と終わらない。彼はトウキョウに居た頃、なぜか燻製ユニットなるものを組んで、燻製を作っていた謎のキャリアもある。いつか夢のサワー屋をやりたいというウソだかホントだか分からぬ希望もある。真面目な話とにかく今の時代、自分の創りたい作品なんかだけではなくって、その一方で食に対する探究心がある男が居るのはとても重要で大事なことだと思う。なにかをやる時に、食の関心があるかないかはそのひとを見極めるのにとても重要なファクターだと思う。





出会った頃からすると、『catejina』というブランドも遥かに違う場所に進んで行っている気がする。僕が最初に出会った頃の『catejina』はあくまでまだその一面的な要素に過ぎなかった。実は告鍬陽介というクリエーターの奥底は、そんなものじゃなかったのである。描く、というのはあくまでラーメン好きな彼の一麺、じゃなかった、一面に過ぎない。一表現方法でしかない。自らが持つ小さな織り機を使ってチクチク織ってはそれを素材として使って洋服を仕上げる。もしくは自分の感にビンビン来るヤバい古着をゲラゲラ笑いながら堀りに掘って探し見つけてはそれをリメイクして洋服を創る。そしてまた自ら描いてはそれを素材にして服にする。こう書くとやり方はバラバラだけど、実はそれはすべて繋がっている。・・・少なくとも彼の頭のなかでは。他の人間では理解出来ない、その世界の終わりと未知なるワンダーランドの中に置いては。そしてその根底にはヒップホップの精神が流れている。まだ見ぬ世界へのアゲアゲで貪欲な憧れ、いつだかへの過去に対する絶え間ないリスペクト、表現方法としてのカット&ペースト、サンプリング文化への目配せ感、イン&アウト、天国と地獄の絶対的な見極め、そしてとどのつまりはカルチャーへの絶対的な服従と信頼と貢献。そう、「文化が街を作る」、といい放ったあの賢者への絶え間ないリスペクト。ある光。僕が自分の店でこのブランドを、この友人がやっているブランドを、ちゃんと展示会で紹介しようと思ったのは、いつからかそんなすべてを僕なりに受け止めたからだった。ちょっとわけがわからないが、わけがわからないなりにこのブランドはひとに届く、それも大切なのは「世代に関係なく」これは届く。と深く思ったからだった。そこだけはきっちりここに書いておきたい。



・・・でも伝わらないよな。うん、きっと伝わらぬ、伝え切れてないだろう。このブランドのなにかとそのすべてを。まぁとにかく伝えるのが難しいブランドなのだ、この『catejina』は。なかなか「~みたいなブランド」と言うのも難しいし、いまの洋服の世界の主流とも言えない気がする。でもそれだけにどこにも無い洋服なのは確かであって、一度出会ってしまうとなかなか抜けれぬブランドなのです。というわけで『catejina』の展示会は今週いっぱい12月3日までです。



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